不祥事を起こした企業のトップや役員がカメラの前に並び、謝罪の言葉を述べ、深々と頭を下げた瞬間にフラッシュがバシャバシャとたかれる光景が日常化している。
だが、あたかもそれですべてが終わったかのように報道が沈静化するのが気になって仕方がない。トップが記者会見で頭を下げると、その後は報道が急速に減っていくように感じるのは気のせいなのだろうか。
求められるのは、なぜ不祥事が起きたのかという「真因」をきちんと究明し、二度と同じ不祥事が起きないようにすることだ。頭を下げるのも大切だが、一連の対応をきちんと行なって初めて、責任を果たしたことになる。
不祥事、特に事故の後、トップが早々に頭を下げながら、被害者への賠償や原因究明がまったく進んでいないようでは、トップが責任をきちんと果たしているとは思えない。
私は、最も真剣にやらなければならないのは「なぜ起きたのか」の究明だと思っている。そのうえで被害者やお客様に誠意ある対応を早く行ない、最後に責任者の処罰を考える。この順序を間違えて、トップが保身に走ったり、とりあえず頭を下げて、あたかも「山を越した」かのような錯覚を起こすようでは、再び同じような過ちが起きる。
トヨタ生産方式では、大小を問わず、問題が起きたらラインを止め、「なぜ」を五回繰り返して「真因」を追求する。生産ラインでちょっとした不良品が出た場合でも、すぐにラインを止めて、「なぜ」を徹底的に調べ、同じ失敗をしないように改善を加える。
これを非能率だと考える人もいる。不良品は脇によけておいて、ラインを動かしたほうがいいという考えだ。だが、時間はかかっても真因の追求と改善を続けた結果が今のトヨタなのだと思うと、非能率だとは言えないだろう。
不祥事や事故は、表面に見えている原因を取り除いたからといって、すべて解決するわけではない。一次原因の下に二次原因が、さらにさかのぼっていくと三次、四次の原因がある。
隠れた根本原因を「真因」と呼ぶわけだが、この真因の改善を行なわないことには問題の本質的な解決をしたことにはならない。
トョタでは、真因を見つけるために三日間、工場のあらゆる工程を探し回った人もいれば、一ヵ月以上をかけた人もいるという。不祥事を起こした企業トップで、これほどの執念を持って真因を追求し、改善を行なう人が、どれほどいるだろうか。
社会保険庁の年金問題など、「官」の世界で「民」よりひどい不祥事が次々と起きるのは、形ばかりの減給などはあるが、結局は誰も責任を取らないからである。責任者がいないから、「なぜ」の追求が不足するのだ。それとも、「原因追求」が「責任追及」になることを恐れているのかもしれない。しかし、両者は別である。責任者が不在だから、そういう混同が起こるのではないだろうか。
ものごとがうまく進んでいる時はわからないが、問題が起きた時に、「逃げるトップ」「逃げないトップ」が分かれる。
トップは、問題がない時は、「信頼して任せている」と言えばいい。だが、いったん問題が起きたら、「任せる」のは、厄介なことから逃げるということだ。
問題が起きた時に、弁解せずに責任を負い、状況が好転してからも決してみずからの功績をひけらかすことのない謙譲の精神が必要である。