経営者の格差は、経営者の重要な役目である「決断する」「行動する」「責任を取る」ことに、端的に表われる。特に「責任を取る」時が問題だ。
会社もある程度の規模になると、すべての活動にトップ自身が関わることはできない。こまかな目配りの及ばない部分も出てくる。そういう部分で不祥事や事故が起きた時、「組織ぐるみではない」とか「私のあずかり知らぬところで発生した」などと、自分には責任がないかのような弁解をするトップがいるが、これほど無責任なことはない。
あずかり知らぬことであれ何であれ、不祥事に対して最終的な責任を取るのは、トップのほかにいない。
ホームページなどを通じて声明は発表するものの、記者会見などはなかなか開かないトップもいる。対応に追われているのだろうと推測はされるが、やはりトップ自身ができるだけ早く会見に応じることで、企業としての説明責任を果たす必要かある。会見でのトップの失言によって問題がさらにこじれるのを恐れているのなら、本末転倒である。
最も悪いのは、責任を部下に押しつけて、みずからは矢面に立たず、逃げを打つことだ。
これでは企業全体のモラール(志気)が低下する。志気なき社員を動かすためにますますトップが横暴になる、という悪循環が発生しかねない。トップが率先して事態の収拾にあたってこそ、社員は一丸となって難局に立ち向かうことができる。
その点で感心したのは、トヨタ自動車だ。二○○三年に一級小型自動車整備士技能検定の問題漏洩事件を起こした時の素早い対応である。
不祥事発覚の直後、詳細がまだ十分に把握できていない時点で、当時の社長・張富士夫さんは、担当役員を率いて国土交通省にみずから出向き、謝罪の会見を行なった。そればかりか、トョタ系列の三千名を超える受験者全員の試験からの途中辞退を決断している。
この種の事件で、最初からトップが会見、謝罪するケースはほとんどない。引責辞任につながりかねないから、まずは総務や広報の担当責任者が会見を行なうのが通例だ。
問題漏洩はスキャンダルではあるが、人命に関わるような問題ではない。それだけに、最初の段階で断を下した張さんの潔さは際立って見えた。
張さんのトップとしての姿勢をうかがわせる発言がある。
「これだけの組織だから、いつ、どこで、何が起こるかわかりません。前向きで喜ばしいできごとはできるだけほかの人に任せるようにしていますが、今回のような後ろ向きの不測の事態が起こった場合、僕のほうから率先して問題の解決に立ち向かうように努めています」