トップと役員の権力には、歴然とした差かある。いくら役員か一会社をこうしたい」と考ても、最後に決めるのはトップである。社長が「やろう」と言わなければ、実行されることはない。
株主総会や取締役会というチェック機構はあるが、社長が強い意志、厳然たる覚悟を持てば、ある程度は企業を思い通りに変えられる。トップの決断は、会社を左右し、社員の人生を変えるほどの大きな力と責任が伴なうのである。
しかも、トップは、松下電器産業創業者の松下幸之助さんが「重役の七割が賛成するプランは時すでに遅く、七割が反対するプランくらいでやっと先手が取れる」と言っているように、時には周囲の反対を押し切ってでも決断を下さなければならない。
だから経営者は、孤独な独断専行者でもある。
それが、「誤れる独裁者」になるか、「英明な統率者」になるかの差は、決断から私心やエゴ、慢心をどれだけ排除できるかにかかっている。上に立つ人間には、みずからを律する高い倫理観が求められるのである。
だが、人間は弱い。ついついイエスマンや「忠犬」を周囲に置きたがり、そこから倫理観がマヒしていく。耳の痛いことを平気で言ってくれる腹心や参謀を置くことで、倫理観を常に研ぎ澄まさなければならない。
中国・唐の第二代皇帝である太宗は最高の名君の一人と称えられるが、その側近に仕えた魏徴(ぎちょう)という人物がいる。幼少時は貧困に苦しんだが、大志を失なうことなく学問に励み、才能を認められ、太宗によって諌議大夫に任ぜられた。
太宗にはしばしば澗痛を起こす欠点があり、魏徴はそのたびに太宗を諌め、その数は実に二百回を超えたと言われている。そういう魏徴を決して遠ざけず重用したから、太宗は名君であり続けることができたのだ。
太宗は、魏徴が亡くなった時、非常に悲しみ、こう言ったという。
「人は銅をもって鏡となし、衣冠を正すべし。
古きをもって鏡となし、興替(こうたい)を見るべし。
人のなす鏡をもって、得失を知るべし。
魏徴の没、朕、亡くせし一鏡」
銅鏡に姿を映せば、身なりを整えることができる。歴史を鏡とすれば、人の世の移り変わりを知ることができる。すぐれた人を鏡とすれば、自分の行ないを正すことができる。厳しいことを言ってくれる魏徴はそんな鏡のような存在であった、というわけだ。
福岡藩の初代藩主・黒田長政は、倫理観を磨くために、「異見会」(腹立てずの会)という会を、月に二、三度開催していた。
参加者は家老のほか、思慮ある者、相談相手によい者など六、七人だ。最初に、長政から
「今夜は何ごとを言おうとも決して意趣(恨み)に遺してはならない。他言もしてはならない。腹を立てたりしてはならない。何でも遠慮なく言うように」と申し渡しがあり、それを受けて自由に、長政(トップ)の悪い点、家来(社員)への仕打ちや、国の仕置き(経営方針)で道理に合わないことなどを述べる。長政が少しでも怒るそぶりを見せると、参加者が諌める。決して「トップが激怒したから今日はお開きに」とはしない。
この会は非常に益があったようで、長政は遺書で「今後も毎月一回は催すように」と書き残したという。
長政が生きた時代は、家臣の分際で殿に諌言するのは、切腹を覚悟のうえでというほどの重大事だった。だが、それではよほどのことがない限り、諌める人はいなくなる。長政は「異見会」を催すことで、悪いデータを積極的に拾い上げ、危機管理のシステムにしたのだ
ろう。そして同時に、自分の倫理観を磨いたのだと推測される。