経営者が腐っているかどうかを判断する簡単な方法かあるく会社がつまらなしことに金を使うようになっていないかを見ることだ。「見栄を張っていないか」ということである。
何が見栄かがわかりづらければ、見栄を張らない企業を見るといい。代表的な企業が、トヨタ自動車だろう。トヨタ生産方式の基礎を築いた元トヨタ自動車工業副社長・大野耐一さんの、こんな話を聞いたことがある。
大野さんが、ある企業を訪ねたところ、真新しい自動旋盤が一台置いてあった。人がついていなくても製品ができる、当時流行の旋盤NCマシンだった。
「なぜ、この旋盤を入れたんですか」
「同業者も入れているからです」
「でも、御社の場合は必要ありませんね」
「こういうのを入れておかないと、従業員を募集しても来てくれないんです」
「人のいらない機械を入れて、従業員を募集するとは、おかしくありませんか」
大野さんは、この会社の機械の入れ方に、非生産的な「見栄と恥の文化」を感じたという。
確かに、同業者がある機械を入れると、「うちも入れないと恥ずかしい」という見栄から同じ機械を導入するケースは少なくない。「そうしないと人が来てくれないから」「親会社から『あそこは遅れている」と言われて注文が来なくなるので」などと言いわけするのだが、
そんなことはない。機械の導入は効率向上や安全確保のためであり、そこに見栄や恥が入り込むのは主客転倒である。
トヨタ生産方式では、最新の機械が意外に少ない。それよりも、従来の機械に「人間の知恵」をつけ、改善を行ない、保全をしっかりすることで機械の「可動率」(機械が動かしたい時にいつでも動く状態にある率)を高めることが大切だと考えている。
そこには、償却期間を過ぎたから新しい機械に入れ替えるという発想はない。償却期間を過ぎてからこそが稼げる時期と考える。だから、「このくらいの機械は入れておかないと恥ずかしい」とは、ハナから考えない。トヨタ自動車は、今や世界のトップ企業になったが、
それは見栄を張らない地道な経営がもたらしたのものだと思われる。
見栄や自己満足のためにつまらないお金をかけない企業の代表に、京セラをあげてもいい。
京セラ創業者・稲盛和夫さんは倹約を旨とし、最初は事務所の机や椅子も新品ではなく、中古屋から買っていた。製造設備も、技術者に「中古で間に合うのなら、それで我慢せよ」
と指示することで、現在ある機械をいかに使いこなすかを徹底的に考え、創意工夫させてきたという。
「最新鋭の機械を導入すれば、生産性自体は向上するであろうし、最先端の技術を使っているという満足は得られるかもしれない。しかし、それがそのまま経営効率の向上につながるとは限らない。見栄を張った過剰な設備投資を繰り返していくことは、かえって経営体質を
弱めることになる。限られた経営資源を活かすことにもならない」
トヨタにしる京セラにしろ、つまりはお金の生きた使い方を知っているということだ。
「流行だから」「他社がやっているから」という理由では動かない。自社のしっかりとした原理原則で行動し、無用な見栄を張ったり、ブームに踊らされたりすることはない。
急成長を遂げた企業が華やかな場所に立派な自社ビルを建てたのはいいが、肝心の、営業所や工場といった現場を軽視して業績が低迷してゆくケースは少なくない。
もちろん、経営にお金をかけるなと言っているわけではない。お金をかけるべきところには集中して投資をするのが経営である。ただ、経営者が「お金をかけるべきところ」を見誤ることが問題なのだ。
経営者がつまらない見栄を張ると、会社はたいていおかしくなる。地味ではあっても、見栄を張らず、地に足のついた経営に徹する経営者に、腐敗はない。