人生航海に終わりはない。
定年後をどう生きるか。第二の人生をいかに自分らしく生きていくか。これは多くの日本人が抱える悩みだろう。思えば私も長い航海の途中にあった。
2001年、私はフランス系鉱山会社の日本法人(イメリスミネラルズ・ジャパン)の社長をしていた。その会社は国内にカルシウム・カーボネート(製紙用の塗料剤)の生産工場を二つ保有し、その材料の白色石灰石をマレーシアやベトナム、中国から購入していた。そのため、私はよく東南アジアに出張していた。
その年の秋、シンガポールに出張していたとき、友人のY・Y・ウォンと会食した。
Y・Y・ウオンは、ハーバードAMP(アドバンスド・マネジメント・プログラム)でいっしょだった大親友だ。
彼はキャリア・メークに大成功した男で、シンガポールでリコー、モトローラ、富士通、ヒューレット・パッカード、IBMなど、二十有余の大企業と提携しつつ、コンピュータ、電気機器、テレコミュニケーション、写真およびリトグラフなど、さまざまな分野で躍進中の一大コンツェルンのオーナーだ。
その彼と会食しているとき、私はこんな話をした。
「私の人生はまずまずうまくいったと思っているよ。いい妻にも恵まれたし、子どもも自立しているし……」
私はふと思いを口にした。
「でも、これから何をやったらいいのかな……」
なぜ、そのときそんなことを言ったのかはよくわからない。
ただ、私が転機を迎えつつあったのは間違いない。
そのとき私は62歳。55歳のときに30年弱勤めた鐘紡(現・カネボウ)を退職し、外資系鉱山会社の社長をまかされてから8年がたっていた。
あと2年で10年か……。
トップのいすに座り10年がたつと、誰しも次第にエゴがふくらんでくるものだ。公私混同しがちになる。AMPで学んだリーダーシップ論でもそう言われていたし、私が実際に目の当たりにしてきた経営者もそうだった。
私にもいよいよ注意すべき10年目が近づいてきた……。
それからもう一つ。私は現在の仕事でのポジションに満足できなくなっていた。
社長を務めていた鉱山会社は、1995年に私が参画したときには英国・米国系の会社英国の会社というのは、日本人とメンタリティーがよく似ていて、日本人には勤めやすと思う。また米国の会社ははっきりしていて、基本的に仕事をきちんとやれば報酬もたっぷりくれる。
ところが1999年にこの会社が仏系企業の敵対的買収に遭った。
フランスの会社はフランス第一主義、フランス人第一主義で徹底している。またフランスのエリートは、カルロス・ゴーン日産CEOにしてもそうだが、限られたエリート校を出た人で占められている。
そうしたこともあって、フランス人はフランス人以外とあまり親しくならないし、信用もしない。とくに、私の上司となったフランス人は中央集権的だった。
鉱山会社が英国・米国系であったときは、私に日本の全権限を委譲してもらっていたが仏系に変わったとたんに、権限が怪しくなってきた。
自分の経営哲学が実現できないようになるなら、そろそろ潮時かもしれない。私はそんなことを漠然と考えていた。
するとY・Y・ウォンが目鼻立ちの大きな顔を輝かせながら、こう言った。
「フジ。第二の人生において自分らしく生きる方法を見つけるためのプログラムが米国ハーバード大学のビジネス・スクールにあるのを知っているかい?」
「ハーバードに?」
「ああ。もともとはハーバードの卒業生を対象にしたプログラムだったらしいけど、今は卒業生以外にも門戸を開いているようだよ」
ハーバード・ビジネス・スクールのプログラムというと、MBA(経営学修士号)がことに有名で、なかにはそれが唯一のプログラムだと思っている人がいるようだが、実は違う。
数多くあるプログラムの一つにすぎない。
たとえばMBAの続編ともいえるPMD(プログラム・フォー・マネジメント・ディベロップメント)や、さらにその上級編であるAMP(アドバンスド・マネジメント・プログラムⅡ上級マネジメント・プログラム)などがある。
AMPはリーダーになるためのプログラムで、私は1990年に、このプログラムを修了した。このプログラムは企業でのキャリア・メーキングの最終過程に位置づけられ、参加者の平均年齢は47、8歳。みな企業から指名され、派遣されてきた幹部候補生たちだ。
なかには積極的にAMPを自分のステップの一環としてとらえ、積極的に会社に働きかけて派遣された人もいた。
ここで自己を発見し確立するとともに、知識、テクニカル・ノウハウを習得し、何ものにも替えがたい友人を獲得する。
わずか3カ月の研修だが、大変ハードで、私のなかで貴重な財産となっている。
このようにMBAは二年間、PMD、AMPのプログラムは三カ月強と比較的長い。だが、そのほかに一週間程度からさまざまなスキルを習得できるプログラムがある。たとえばリーダーシップ、ファイナンシャル・マネジメント、ビジネス・ストラテジーなどのテーマの下に数多くのプログラムが用意されている。
「そのプログラムはパーソナル・ディベロップメント(人間個人の進歩・発展)をテーマにした唯一のプログラムで、名前はたしか「オデッセイ」といったかな……」
私は、初めて聞くその名前にどことなく愛着を感じた。
「オデッセイ」とは古代ギリシアの叙事詩「オデュッセィァ」の英語名だ。
「オデュッセイア」は、「イーリアス」と並び、伝説的な詩人ホメロスの作とされる。その内容は、トロイア戦争のあと、イタカ島の王である英雄オデュッセウスの放浪、冒険、そしてオデュッセウスの息子テレマコスが父を捜す旅を歌ったものだ。
ポセイドンの怒りをかい、カリュプリの島に囚われていたオデュッセウスが、数々の苦難を経て、故郷イタカに戻り、父と妻に再会するまでを描いた壮大な物語だ。
だから欧米では、原義から転じてしばしば「長い航海」という意味で使われている。有名なのがSF映画の傑作とされる『2001:A Space Odysse』(邦題「2001年宇宙の旅」だろう。
Y・Y・ウォンは続けた。
「僕も若いころから妻と二人でしゃかりきに突っ走ってきたよ。尊敬する松下幸之助に続けとばかりに、「根性」をモットーにこれまでやってきたんだ。自分の人生にはとても満足しているよ。三人の子どもも立派に成長したしね。ただね、これから何をすべきか。それ
を考えている最中なのさ」
Y・Y・ウォンも私と同じような悩みをもっているのか……。
「なあ、Y・Y。それならアメリカ人が第二の人生をどう考えるかを知るためにも、いっしょにその「オデッセイ』を受けてみようじゃないか」
「いいね。そうしよう」
決断の早い私たちは大いに盛り上がり、即座に応募することに決めた。早速ハーバードのHPにアクセスし、Eメールで問い合わせることにした。